感情は我慢しないで感じきりましょう
大人になるとね、色んなことが起こっても、大人だからみっともないだとか、もういい大人なんだから、なんて言われて、ザブングルみたいに「悔しいです!!」なんて泣くことは難しくなってくる。
いや、できるんだけどさ、みっともないとか、男なのにって思考が頭ちらついて、感情に集中できなくなるんだよね。
号泣していいのは財布落とした時と、ハチにさされたときだけ!って古くからの言い伝えで決まってるわけ。
怒りもそう。社会人で働いていると、怒ったりすると「大人げない」なんて言葉で、周囲から、まるで子ども扱いをされてしまう。
なので、人って感情を我慢するようになるんだよね。
そうやって、感情に蓋をするようになると、感情を感じにくくなるんだ。
喜怒哀楽って言うけど、自分は「楽」しかありませんとか、「怒」しかありませんって人はどこか問題が生じてる。人間ってのは違う。
「怒」も「哀」もしっかり感じられるから、「喜」も「楽」もしっかり感じられるんだね。そういうのが自分は分からなかった。
我慢して我慢して、そんなのなかったことにしてて。すると次第に色んなことに楽しいとかうれしいという感情も湧き上がりにくくなる。
ワールドカップとかでさ、日本が負けて悔しいとか言ってね、心底がっかりしているサポーターとか見ててさ、なんでこいつらこんなに自分のことのように熱狂して、落ち込んでるんだよ、人に頑張れって言ってないで、お前らが頑張れって思ってた。
ただ、それとは別に、なんでこんなことで一喜一憂できるんだろうってうらやましい気持ちもあった。
体全体で感情を感じられる人間になりたい!って。
いっつも冷めててさ、世捨て人のように、俺には関係ない!って社会から拗ねて顔を背けてたわけだけど、そんな物事に集中できて熱狂できたらさ、人生がどんなに楽しいんだろうって思ったんだ。
そのためには、悲しいことにも辛いことにも、目を背けず向きわなければならない。
今まで逃げてきた感情に、がっぷり4つ組み合わないといけないわけ。相撲のように。
当然、白鳳の張り手のごとく、僕の身体をかちあげてくる痛みがあってね、それはそれは、今までの張り手よりも痛いんだわ。だって今までは腰引けてたからさ、体のけぞってたから、うまく力を逃がせてたんだわ。
でも、感情豊かな人間になるには、しっかり腰いれてさ、うってこいや!って覚悟を決める必要がある。だからモロに衝撃を受けるわけ。
真剣にその物事に入れ込んでいればいるほど、結果が伴わなかった時、それはそれは痛いしっぺ返しが待っているんだ。
それはとても怖いことだ。
それはとても勇気のいることだ。
それでも感情豊かな、色んなことに熱中できる、熱い人間になりたいかい?
僕は、なりたい。