物事には出来るだけ「熱く」なりたい。楽しさが全然違う
こんにちは。足首がめっちゃ腫れあがって、前日フットサルでケガしたのか?それとも何かの病気?なんて焦って、ネットで必死こいて調べていたけど、嫁に見せたら、ただの「むくみ」だと言われた、どうも僕です。
最近テレビみないんですが、唯一、晩御飯の時だけ嫁と一緒に食べるので、その時は見るのですよ。最近のテレビ番組あんまおもろないなーなんてエセ関西弁が出ちゃうんですけどね、クイズとかお笑いとかみるとね、一緒に参加しちゃって、答えを口に出したり、ボケに対して突っ込んでる自分がいるんです。
その時、すごい、いい傾向になってきたなーとしみじみ思うわけで。
嫁にうるさいとは言われるのですが。
昔は色んな物事を斜に構えてみてたわけですよ。斜めすぎて、ほぼ地面に寝そべってたんじゃないかって。学園祭とかでも、何かこいつら、こんなんで盛り上がってて馬鹿じゃねーの?なんて思っててね、サッカーW杯のときも、日本が負けたら泣いてる人いて、くだらねえ、とかいって見下してたのよ。周囲の人間を。
それでも、何でこんなことで泣いたり、笑ったりできるんだろう・・・ってうらやましくもあったのね。その感受性が。
でもかっこ悪く見えたわけで、やらなかった。
熱くなると馬鹿にする人がいて、やらなかった。
その時のことを思い出すと、すごい後悔するわけ。
もっともっと深く入り込めば、もっと豊かな青春を送ることができたんじゃないかなって。もっと感動できたんじゃないかなって。
今、40歳になって、ようやくそれがわかってきてさ、色んなことから楽しみを得ているんだけど、これが元々備わってたら、自分の人生って、また色々と違ってたんだろうな、とも思っているのね。
でも、当時の自分には、その行為が怖かったんだ。
深く入り込むってことはさ、良くない結果が起きた時、深く傷つくわけで。
周りから馬鹿にされたときもそう。お前、何そんなんで熱くなってるの?って。
深く入れば入るほど、周りからの侮辱に、悪い結果に、絶対に傷ついてたと思う。
それが怖かった、と今の自分なら認識できる。
当時は分からなかった。
だから、喜怒哀楽が、貧乏人の飲むカルピスのごとく、薄まっちゃって、味気ないものになってしまった。もちろん、楽しい思い出だっていっぱいあるが、もっともっとチャンスがあったわけよ。
だからね、今、物事に熱中するのが怖い人に言いたい。
絶対に物事には熱くなったほうが人生楽しい。
人生は喜怒哀楽が大きいほうが楽しいのです。
時には跳ね返され、傷つくこともあるでしょう。
でも、それでも向き合ってほしいのです。
やり方は簡単。その物事を一生懸命頑張るだけでいい。
馬鹿にされたって、恥ずかしくたって、それ以上の見返りがあるから。
おっさんになった僕も、先月、虫網もってね、夜にカブトムシ探しに行きました。生まれて初めて、木にとまってるクワガタ(そっちかい!!)を見つけたわけでね。コクワガタだったけど、めっちゃうれしいのよ。めっちゃ楽しいのよ。この年になって馬鹿じゃねーの?なんて思われるかもだけど、そっち側にいるよりも、人生楽しい。
松岡修造になろう。